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「少ない保険料負担で多くの死亡保障を」というニーズに対応して、定期付養老保険において、さらに高倍率化が進展して、昭和40年代後半以降は、10倍型、15倍型が中心になっていきます。 また、高度経済成長の波にのり、交通機関の発達に伴って事故が急激に増加。 その中で、昭和38年7月に、損保保険業界が生命保険業界に先んじて交通事故傷害保険を発売。 本来損害保険会社の領域であったので、日本の保険の歴史上で「業界の垣根」を越えた大きな転機となっています。 一方、昭和43年に、終身保険に定期保険を組み込んだ2倍型、3倍型の定期付終身保険の発売が開始となりましたが、一部の会社では主力商品になったものの、生命保険業界全体では脇役にとどまっていました。 この頃、疾病入院を組み込んだ商品が日本で始めて開発され、医療費の増加にともない、昭和48年末〜49年にかけて、急速に普及しました。 この頃、外国会社が疾病関係商品を持って日本に進出。
これらの会社は、給付対象をがんに絞った「がん保険」や、死亡保障を低く抑えて、医療保障を充実した「医療保険」を発売するなど、販売成果は順調に進んでいきました。 そのため、日本の生命保険会社にも新規分野への進出を促すきっかけとなり、無配当定期保険、がん保険、医療保険を相次いで販売したり、百貨店やスーパーなどにおける店頭販売を開始するようになったのです。 昭和48年、第一次オイルショック後のインフレの高進が既契約の保障額の実質価値を急速に減少させたことなどから、既契約の保障額を増額するというニーズが非常に大きくなりました。 中途増額制度昭和49年、既契約に定期保険特約を付加することにより、既契約に保障額を上乗せして高額化する制度として、中途増額制度が開発されました。 転換制度昭和51年、既契約の解約に伴う解約控除のデメリットを除き、配当の権利を確保して保障額を高額化したり、医療特約など新しく開発された特約が付加できて、保険料率引き下げ後の最新の保険に加入できる制度として、転換制度が導入されました。 2005.8.14記事 2007.7更新 |
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